とある臨死体験の話

僕は、大学生の時に忘れられない体験をした。
おそらく『臨死体験』というやつだ。
信じなくても構わない。僕には事実なんだ。

 

今から二十数年前の話だ。

大学4年生も後半のある日、就職が決まらないことを、実家の母親から電話でかなりきつく責められた。
父親の仕事も不況の煽りを受けていて、実家はカツカツだ。まだ高校生の弟も中学生の妹もいる。
大学の高い授業料が終わったばかりなのに、今後の僕の生活費まで余裕がないことは痛いほどわかっていた。両親も就職したら少しくらい家に入れてほしいと言っていたから。
アルバイトしながら就職活動も考えたが、その道を選んだ先輩は非正規雇用から抜け出せなくなっていた。
頭の中は親から言われた「まじめに考えなさい」「真剣に取り組んでないからよ」「世の中そんなに甘くないのよ」「お前の面倒まで見られないからね」などなど、常に思い出して苦しくなる言葉ばかりが占めていた。その言葉は僕の存在意義をかき消すには十分すぎた。僕がいなければ親は楽になるのかな。それとも悲しんでくれるのだろうか。

時代は就職氷河期真っただ中だったが、僕の入ったゼミの同級生はみんな優秀なのか就職が決まっていないのは僕けだった。
その事実が僕を一層追い詰めた。

考えても考えても考えても、未来なんて想像できなかった。
卒業が近づくにつれ、親にとってごくつぶしの僕がいなければいいのではないかという考えが、心を真っ黒に染めていった。
そして、この世界から消えてしまうことにしたんだ。

 

3月の、まだ寒い夜だった。
道路に面したビルの非常階段の踊り場から下を見た。
大丈夫。人通りは無いから、自分だけで済むだろう。
飛び降りるシミュレーションは頭の中で何度もした。
目をつぶって、前に倒れるんだ。それだけでいい。
そう思っていたんだが、実際に飛び降りようとすると、怖さが先に立ってしまい、思い切ることができない。
僕は後ろ向きに倒れることにした。下を見ると怖いなら、空を見ながらにしよう。
都会の空に星は一つも見えなかったけど、今日は月がきれいだ。
ひとつ深呼吸をして、月を見上げて、僕は向きを変えた。青白い月を空っぽの心で見つめながら、ベッドに倒れるように仰向けに落ちていった。
受け止めてくれるベッドはない。自分の髪の毛が月を覆い隠したと同時に全身に衝撃が走った。

しかし、次の瞬間、また同じ場所に立っていた。
空には同じ月が浮かんでいる。さっき、確かに飛び降りたはずだ。
幽霊にでもなったかと思って下を見たけれど、何もない。
失敗したのか、それとも夢を見ているのか。
下を眺めていたら、さっきと同じ恐怖が襲ってきた。
ひとつ深呼吸をして、月を見上げて、僕は向きを変えた。青白い月を空っぽの心で見つめながら、ベッドに倒れるように仰向けに落ちていった。
受け止めてくれるベッドはない。自分の髪の毛が月を覆い隠したと同時に全身に衝撃が走った。

しかし、次の瞬間、また同じ場所に立っていた。
訳が分からない。さっき、確かに飛び降りた。
まるで、嫌なことが頭から離れず、繰り返してしまう時のように場面がループしている。それは飛び降りることを決めるまでの数か月間と似ていた。頭の中は親からの言葉と、焦りと、この世から逃げ出したい思いをずっと繰り返していた。

同じことを考え続けていたあの時から、僕は繰り返すことしかできなくなっていたんだ。


僕は焦った。早く、早く抜け出さないと。
ひとつ深呼吸をして、月を見上げて、僕は向きを変えた。青白い月を空っぽの心で見つめながら、ベッドに倒れるように仰向けに落ちていった。
受け止めてくれるベッドはない。自分の髪の毛が月を覆い隠したと同時に全身に衝撃が走った。

しかし、次の瞬間、また同じ場所に立っていた。
悪夢だ。まだ僕はここにいる。
もう、何度繰り返したかわからない。

 

実はさっき気付いたのだが、正面のビルにも同じようなことをしている女の子がいる。

その子も何度も飛び降りているけれど、また同じ場所に戻っている。

嫌だ。あんなことにはなりたくない。どうすればいいんだ。

 

また向きを変えたとたん、目の前いっぱいに犬のような何かの顔が現れた。
「なにしてるの!」

「うわあぁぁぁ!」

あまりのことに驚いて落ちた。

しかし、今度は地面には叩きつけられずに僕は空中に浮いていた。

そして正面にはよくお稲荷様の神社とかで見るような、真っ白な狐のお面が浮いていた。

「なんで死ぬのさ!なんで逃げ出そうとするのさ!」

「うわぁぁぁぁぁぁぁ!」

怖さが先に立ち、僕は慌てて逃げ出そうとしたが、手足を空中にバタつかせただけだった。

キツネの面は鼻がくっつくかと思う近さまで近寄り叫んだ。

「早く体に戻って!」

その瞬間、何となく理解した。

おそらく僕は死んだんだ。だとしたらこれは死後の世界か。

ということは、お化けの話でよく出てくるような、自殺を繰り返す霊になっていたんだな。

自分の状況をようやく飲み込めたので、冷静になることができた。

正面のキツネ面に向かって叫んだ。

「やっと死んだんだな!成功だ!いいんだ!もういいんだよ!僕なんて必要ない!いないほうがいいんだ!」

そう言いながら、思わず涙がにじんだ。悲しさと悔しさと後悔で気持ちはぐちゃぐちゃだった。取り返しがつかないことはわかる。とんでもないことをしてしまったが、もう後には引けない。

僕の前に立ちはだかりながら、そのキツネ面も涙をこらえていた。お面なのに。

「確かに、今は全てがうまくいっていないとしても、全て否定するなんて、ひどいじゃないか!」

そう叫びながら、そのキツネ面は空中で一回転したと思ったらふわふわの大きな白い狐に変身した。動物園で見た狐よりはるかに大きい。顔が狐じゃなかったら馬と間違うくらいだ。

「うわあ!なんだなんだ!こわい!こわいぃぃぃぃぃ!」

慌てる僕には目もくれず、そのキツネは僕を子猫か何かのように首根っこを咥えた。

そして、上に向きを変えると、どんどん月に向かって浮いていった。

雲を抜け、地球と宇宙の境を超え、とうとうテレビでしかみたことのない空間にまで連れてこられた。どう見ても宇宙だ。

そして、いきなり僕を宇宙空間に放り出した。あまりの怖さに丸まっている俺のところまで飛んできたキツネは、僕の顔をでっかい肉球でがっちりつかんで、地球と月を見せた。

 

「月がなかったら、地球はどうなると思う?」

 

唐突な質問に頭が真っ白になる。

「え…月?月がなんだって?それより怖い!怖い!」

「もう、ちょっと落ち着いてよ。月がなかったら?地球が月に影響を受けていることくらいわかってるでしょ!!!」

「お願いです、手を離さないでください、怖いです、宇宙に放り出されたら死んじゃいます、お願いです、手を離さないでください・・・」

目をつぶってお経のように繰り返す僕に呆れたような声が聞こえた。

「離さないから、大丈夫だから。もう一回聞くよ。地球と月の関係は?」

「えっと…潮の満ち引きとか?」

「そう。ちゃんと知ってるじゃないの。他には?」

「知らないよ!!!」

「あのね…
月の引力がないと太陽の引力だけになるんだ。そうすると潮の満ち引きがほとんどなくなってしまう。
潮の満ち引きの摩擦で、地球の自転は遅くなっているんだ。だから、一日の長さが変わる。自転周期が早くなるから、月がないと一日8時間くらいになるよ。
そして風が変わる。自転が早くなるからね。風が東から西へ一方向に流れるようになる。
実は、あんなに大きな木星の自転は10時間程度なんだ。木星は横にたくさんの縞模様があるだろう?それはこの風のせいなんだ。
風が強くなると波が高くなり、風で山も削られる。
そして自転が早くなると磁場が変わる。自転が早ければ早いほど磁場が強くなる。オーロラは見えなくなるだろうね。
磁場が強くなると太陽風を現在より遮断してしまう。それが生き物にどう影響するかというと、
植物は地を這うような植物が増える。葉が生えるより苔のような植物が増える。
風が強くて鳥は生きられない。酸素が増える。生物の多様性は今よりも少なくなる。
人類は永遠に時差ボケ
風が強いと音声が聞こえないので、テレパシーが使えるようになるかもね。でも、それって心の中みんな見えちゃうから大変だよね。」

キツネの話が長かったおかげで、俺は少し落ち着き、周りを見る余裕が出てきた。
当たり前だけど宇宙なんて初めて来た。スゴイ。
少々上の空だったため、キツネがちゃんと聞いてるのか?ってにらんでくる。よく見ると可愛い。

「…早い話が、月がなかったら地球に生き物なんてほとんど住めないってことか。」

「そう。月が地球を守っているんだ。人間は、月は地球の子分くらいにしか思ってないけどね。」

「いや、そんなことないけど…考えたことがなかっただけで。」

キツネの口は動いていない。キツネの言いたいことが耳じゃなくて頭に直接響いてくる。そうなんだ。言葉ではなくて気持ちが先に届いて、それを僕が無意識に言語化している感じだ。
なんなんだろう?この感覚は。
そして、キツネが僕に危害を加える心配がなさそうなことを感じ安心した僕は、好奇心が勝ってきた。

「ここは宇宙?あの星は…地球だよな。」

「そう。太陽が当たるととってもきれいなんだよ。
地球の生き物のことを、太陽や月が守っている。地球のことは、宇宙がちゃんと守っている。」

「は?宇宙が地球を守ってる?どういうこと?」

「えー!?人間はもっと知ってるとおもったのになぁ!仕方ない!これから感謝しに行くよ!!!」

「え?え?えぇぇぇぇぇぇぇぇ--------!!!」

キツネはまた僕のの首根っこを咥えて暗い宇宙の奥の方に飛んで行った。

******

僕は氷の星に座って、さっきのキツネと一緒に木星を眺めている。
ここは木星のいくつかある衛星のひとつらしい。
そして今、木星からすごい光と音が聞こえてきている。

この大きな音は、木星に隕石が落ちた音だ。
そもそも真空の宇宙では音なんて聞こえないはずだが、僕には聞こえている。
キツネに聞いたら、「そのほうがわかりやすいから、そう感じてるんじゃない?」とのことだった。
つまり、衝撃の振動を音に変換しているのは自分自身らしい。

かなり大きな音がずっと続いているから、結構大きな隕石だったんだろう。
もし、地球に落ちていたらどうなっただろうか。
キツネに咥えられて木星に着いた時、ちょうど隕石が木星に衝突した直後だった。
その光景は恐ろしすぎて、僕は体の震えが止まらなかった。

木星に隕石が落ちるのはいつものことだからね。
この大きな星は、そのおかげで引力もとても強いから、地球に落ちそうな隕石をみんな引き受けているんだよ。
木星がなかったら、地球にたくさんの隕石が落ちて、今頃生き物なんていなかったと思うよ。」

目の前で起こっている大爆発に震えている僕の背中を、キツネは大きな尻尾で撫でてくれた。

木星はつらくないのかな。」

俺はぽつりとつぶやいた。

「ん?なに?」

不思議そうにキツネは僕を見た。

「あんなに大きな隕石がバンバン当たったら、木星は壊れないのかな。苦しくないのかな。」

「大丈夫なんだよ。木星はそのために大きくなったんだから。」

キツネが答える。

地球に隕石が落ちないように、木星は大きくなったってことなのだろうか。

ふと疑問が浮かんだ。

「恐竜の絶滅は…」

「そりゃ、取りこぼしもあるさ。でも、地球は無くなっていないだろう?
地球が守られているってことは、地球に住む生き物も宇宙が守っているってことなんだ。
君のことも、宇宙が守っている。守るべき命なんだよ。」

僕はため息をついてから顔をあげた。

「そんなこと、今言うなよ。自分で死んじゃったじゃないか。」

「・・・。」

キツネは黙り込んだ。

「僕の人生は大事になんてされてなかった!そりゃ楽しいこともあったけど、長男で我慢することばっかりだったし、死にたくなる現実のほうが多かった!」

僕は思わずキツネに八つ当たりしながら、自分の人生で納得いかなかったことを片っ端から思い出していた。
小さい頃から、弟のやったことまで親に怒られていた。自分のやりたい職業は親に反対され続け、気が付いたら何をやりたいかわからなくなっていた。
小学校、中学校ではいじめられたし、高校では部活のおかげで大学進学できたが、就職も決まらないし、彼女だって振られた。
バイト先の客は本当に理不尽だし、いなくてもいいじゃん。僕なんて。

「そうだろうね。」

キツネは否定しなかった。そして、僕の目をじっと見て言った。

「だからここに連れてきたんだよ。」

「は?どういうこと?」

「まだ、やり直せるんだ。」

「え?俺、なんか有名人にでもなるの?」

「そういうんじゃなくて。君はこれから伝えていくんだよ。」

「伝えるって、何を?」

「君は一人じゃないってこと。」

「一人じゃない…」

「そう。だから、自殺なんて考えちゃだめだよ。ひとつの宇宙をもっているのだから、責任を持って生きなきゃ。」

「よくわからないんだけど。」

「…さあ、帰ろう。」

「教えてくれよ!俺、この先どうしたらいいんだよ!」

キツネは目を合わせず、立ち上がるとふわりと浮き始めた。
俺は慌ててしっぽを掴んで叫んだ。

「しっぽ掴まないで!」

キツネは体をひねってしっぽを掴む手を振りほどくと、また俺の首根っこを咥えて飛び上がった。
そのとたんに体に信じられないくらいの圧力というか重力がかかり、目の前が真っ暗になった。


************

「…。」

目を覚ますと、明らかに病院だと気付いた。
明るい蛍光灯に目が痛い。
瞬きはできるけど、体は動かせそうにない。
身体に意識を向けたとたん、全身の激痛に気付き、思わずうめいた。
さっきまで宇宙にいた感覚がまだはっきりとあった。特に、あのキツネの高級毛皮のような感触…

ふわっと、目の前をあの高級毛皮が横切った。
俺は痛みを忘れ、必死で目だけを動かした…いた。
キツネは部屋の隅でいないふりをしていた。

・・・いや、部屋の三分の一を占めるくらいデカいんだから、無理があるだろ。
そう心の中で突っ込みながら、僕はさっと目をそらした。なんとなく、見ちゃいけない気がした。
よく神様を見ると目がつぶれるとかいうだろう?

多分無意識にそう感じたんだ。だから気付いていないふりをした。

 

そして思い出していた。

「君は一人じゃないって伝えていくんだよ。」

これからどうしたらいいのか全く分からないけど、退院したらこの話を誰かにしてみようと思う。特に、人生に絶望している人がいたら、君は宇宙に必要だからここにいるんだって教えたい。バカにされるかな。伝え方、考えなきゃな。

 

意識が戻った僕のところに、両親が駆け付けた。

二人とも泣きながら謝ってくれて、僕も泣いた。

退院してから普通の生活に戻るまで少し時間はかかったけれど、何かを伝えていく仕事をしたくて小さな広告代理店に就職した。

 

なんでキツネが宇宙に僕を連れて行ったのか、よく考える。

そして、宇宙・地球・国・自分の体が一つの生き物として実にうまく動いていることに気付いた。そうか。宇宙も生き物だから、細胞として僕が必要なのかも、と。
嫌な奴に会うこともあるけど、宇宙は悪玉菌も必要としてるんだと思うと腹も立たなくなった。

今は充実した日々を過ごしている。

 

でもまだ、あの時にキツネに言われたことはできていない気がする。

どうやって伝えようか。君は一人じゃないって。

僕はまだ死ねない。

さっちゃんへ 3

さっちゃんへ

 

体調はいかがですか?

 

先ほどの記事をアップした後、さすがにこれはスピリチュアルが過ぎるか?取り下げようか?と、思いましたが、ひとまず続きを書きます。

もし、「これはダメでしょ」と感じたなら取り下げますので、遠慮なく仰ってください。

 

では、続きです。

 

くまちゃんとのランチで「体は宇宙」という話をした後、それはどういった意味かを、自分で言ったくせによくわかっていませんでした。

人体が宇宙って、NHKスペシャルみたいだな、くらいにしか思っていませんでした。

 

しかしそれらをずっと考え続けていくと、いろいろなことにつながっていくことに気が付いたんです。

 

私たちの体は、無数の命でできていること。

顔には顔ダニがいるし、腸にもたくさんの腸内細菌がいる。皮膚の上にも常在菌がいて、普段は気にしないけれどもたくさんの生き物とともに生きている。

全ては存在している。見えないものも、顕微鏡を使えばみえます。

じゃあ、この意識ってなんだろう?と。顕微鏡では見えませんよね。

そう考えたときに、ああ、そうかと。

世界の見えないもの代表。

私たちはひとつの宇宙を持つ神様なんだなと。

 

だとすると、地球上のすべての人が、一つの宇宙を持っている神様だということに気付いたんです。

赤ちゃんも、お年寄りも、みんなひとつの宇宙を持って生きている。

そう思ったら、例えばこの体の細胞一つが人間だったとしたら、頑張って生き抜いてくれることを応援したいし、感謝もしたくなりました。

日本で年間3万人が自殺していた時期がありましたが、これ、自分の体で考えると恐ろしいなと思いました。年間3万の細胞が絶望して自殺されたら・・・痛みを感じると思います。

そう、人体を構成している細胞や細菌の一つ一つは小さくて、いることが当たり前に思ってしまうくらいかすかなものではあるけれど、それを預かる本人としてはいてくれないと困るなぁと思ったのです。

自分の体、自分の細胞にとっていい神様でいたいなと思うと同時に、私を支えてくれる細胞がいることがとても心強く思えました。

 

次に、私たちが思っている神様って何だろう?と、考えたとき、同じように今度は私たちが一つの細胞なんじゃないかと思えてきました。

地球という大きな生き物の表面にいる細胞、それが人間なんじゃないかなと。

と、言うことは、地球という大きな意識があるのでしょう。

 

じゃあ、もっと大きな視点に立つと?

実はそれで驚いたことがありました。

宇宙は地球を守っていたんです。

 

太陽の恩恵はみんな知っている通りですよね。

もちろん日の光も重要なのですが、太陽の重力と地球の遠心力の微妙なバランスで、太陽と一定の距離を保っています。

木星はその巨大な引力で地球に落ちる可能性のある隕石を引き受けています。

月はその引力で海水を引っ張り、その摩擦で地球の自転速度を遅くしてくれています。そのおかげで地球の風は穏やかで、そのおかげで高い山が風で風化されずに残り、地面がでこぼこのために上昇気流が発生し、晴れたり雨が降ったりと天気ができています。

地軸の傾きも月がコントロールしていて、四季があります。

引力で海をかき混ぜてくれるから、多彩な生き物が住めます。

 

宇宙も人体と同じように、絶妙なバランスでうまくいっていました。

まるで一つの生き物みたいに。

ならば、そこにも大きな宇宙の意思みたいなものがあっても不思議じゃないんじゃないかと思います。

 

人間はその宇宙の細胞の一つに選ばれて生まれてきたんです。

必要だから生まれてきたし、寿命を全うする責任があるんです。

だから、どんな人であっても、宇宙に請われてここにいるんだなと。

 

これは単なる想像でしかありませんが・・・

伊勢神宮って、内宮と外宮があります。

これは、太陽神の天照大神天皇の夢枕に立ち、「私一人では食事がままならないから、食事の神である豊受大神を呼び寄せなさい」とおっしゃったからとか。

この話、皆さんそのまま受け取ってますよね。天照大神って食いしん坊なんだなくらいに(笑)

でも、よく考えてみると不思議なんです。

天照大神は太陽の神様です。つまり、太陽そのもの。

太陽だけじゃ、食事ができない。

つまり、食べ物である植物や生き物が育つには、何が必要でしょうか?

太陽だけじゃダメで、土と水が必要ですよね。

土と水・・・これってまとめて、太陽と対になる大きなもの、なんだと思いますか?

 

そう、地球だと思うんです。

 

「人間を育てるには、太陽だけじゃダメで、地球が必要だった」

 

と、言うことなんじゃないかと思うのです。

 

これも不思議だなと思った話なのですが。

三貴神ってご存じですか?

伊弉諾尊が禊をしたときに生まれた神様で、太陽神の天照大神と、月の神様である月詠命、海の神様である素戔嗚尊の3つの神様のことです。

この3つの神様は、日本の神様の中でも特に重要な尊い神様としてあがめられています。

この神様、さっきの話で出てきませんでしたか?

そう、生き物を育む太陽と、地球の自転を遅くして穏やかな環境を作ってくれている月と、月の重力の影響を地球に穏やかに与えてくれる海なんです。

この3つの神様が、地球を人が住める星にしてくれています。

これは偶然なんでしょうか。

 

こうやって考えていると、存在は既に宇宙が認めてくれているのだと思えるのです。

なら、一生懸命に生きなくては。

そして細胞は生まれたときから生き抜く使命をもっている、それを隣の細胞が「あーやって生きなきゃいけない、こーやって生きなきゃいけない」と押し付けるのはナンセンスだとも思うのです。

 

自分を認めること。

他人を認めること。

一人一人を尊敬し、謙虚に生きること。

自分の体を愛し、他人を愛し、心から感謝したくなること。

それは宇宙を知ることによって感じることができるのかもしれません。

 

そして、宇宙を自分の体に置き換えて考えたときに、細胞同士が殺し合いしていたら嫌だし、戦争なんてもってのほかだし、細胞に自殺されるのも嫌だし、細胞が暴走して暴飲暴食で体を壊すような環境破壊も嫌だなと思ったんです。

同時に、自分の体を愛おしいなと思いました。

私を支えてくれている体があるから、子供たちにご飯を作ってあげられる、さっちゃんと会話ができる。

42年間(年齢ばれた!)支えてくれてありがとう。これからも一緒に頑張ろうね!

 

さて、こんな内容を世に広めるのか?

そんなの絶対に炎上するか、無視されるか、おかしな人扱いされるか・・・

もし本気で伝えたいのであれば、そのための表現が必要になってきますね。

 

私はせっかちなのとナゾナゾが苦手なので、答えを言ってしまいたくなります。

だからもっとストレートに言ってしまえ!・・・と。

 

でも、さっちゃんもくまちゃんもそんなことはしていません。

いや、私と同じことを考えているからとかではないと思いますが。

 

あくまでも今を、優しく表現し続けています。

 

私が、「(くまちゃんの公演が)こんなに素晴らしい内容でも、響かない人には響かないんです 、そういう人に響くのは何か

と、言ったときの、さっちゃんからのお返事。

響かない人には、響かせなくてもいいのです(^^) それは、押し付けになります。 押し付けらてやる人は、成長できませんし、やってもうまくいかず、くまさんのせいにします。 結論は、自分で導き出すもので、誰かからの言葉ではありません。 そこに気付けた人は、自分で考えます。 くまさんは、一貫して伝えています。 自分で考えようと。 やってみて初めてわかることがある。 きっかけは、渡します。 あとは、みなさん。経験してわかりましょう。 ということなの(^ω^) 共感できて、動いた人は自然に上がります。 くまさんは、上がりません。 そこに居るだけ。そしてただ、自分の意思を伝えるだけ。 今回の記事も、鈴木さんの経験からのお話。 それだけで充分だと思います。 大事なのは、それを理解して広げる仕組みです。 今年中にそれが出来れば、、、 わたしは本望です。。

 

これ、何度も何度も、本当に100回繰り返し読みました。

特に、「押し付けられてやる人は、くまさんのせいにします」の部分、まさに私でした・・・。

 

別に私の考えが全部正しいと言いたいわけではないんです。

この話は全否定でも構いません。

ただひたすら、今を生きている人が人として幸せに生きてほしいと思っているだけです。

 

そしてここにつながるのだと思います。

 

ameblo.jp

 

そっかぁ・・・歌かぁ・・・

さっちゃんへ 2

さっちゃん

 

お体の具合はいかがですか?

記事を書くって言っていながら、なかなか進まなくてごめんなさい。

頭の中ではいくらでも文章が出てくるのに、その場ではすごくいい!って思えるのに、いざ書こうと思ったら全然かけなかったんです。
7月に書いてからもう9か月も経ってしまったんですね・・・本当にごめんなさい。

先日、書くと決めてさっちゃんにも宣言して、三日間頭の中でこねくり回して、やっと書き始めています。

 

突然ですが、さっちゃん、この記事はご存じですか?

ameblo.jp

 

宇宙人は、実は地球にたくさんいるそうなのですが、さて、宇宙人は一体どこにいるのでしょう?

私ね、これの正体を知っているんです。

 

今日は、その正解を得るに至るまでのお話です。

 

*****

私は小さいころから自分のことを両親に否定され過ぎて、常に死にたいと思って生きていました。

両親は私を一人前に育てたかったのでしょうけれど、何をしても否定され、認めてもらえないのは地獄です。

生きていてもいいことなんてないな、私がいなくても世の中は困らない、生きている必要なんてないのに、なんで生きなければいけないんだろうと、そんなことばかり考えて25歳まで過ごしました。

心が窒息寸前のためか、人間関係もうまくいきませんでした。

自分を否定される経験しかしてこなかったので、人も否定してしまうんですよ。それは嫌われますよね。そしてうまくいかなくてまた否定されて、否定して、悪循環です。

人とトラブルになるたびに、「なんでわかってくれないんだ!」という思いでますますがんじがらめになる日々でした。

 

そうやってもがいていた中、幸運なことに転職先の上司が「お前はお前でいい」と三か月くらい言い続けてくれたのをきっかけに、「あ、私って生きていていいんだ」と思うことができて、生きるのが楽しくなりました。

やっと私を認めてくれる人が現れたんですね。

そして、人を認めることもできるようになりました。

そうすると好転するのは早かったのです。

話せる友人も増え、生きているのが楽しくなりました。

通勤時にホームから線路を眺めながら、自殺って本当にばかげていると思えた自分に感動したのを鮮明に覚えています。

 

なので、その後に私と同じように窒息しそうになって人とうまくいかなくなっている人を見ると、何とかしたくなるようになりました。

私の意識が変わったちょうどそのタイミングで仕事でチームを任され、試しにその上司からやってもらったように、みんなのことを褒める・認めるを一生懸命やった結果、生まれて初めてうまくいったんです。

この成功体験は強烈でした。

 

なんだかんだあって仕事はやめてしまったのですが、その後出産して母の育った境遇や子育ての環境などを知り、母親が私をこういうふうに育ててきたのは仕方なかったのかなと感じるようになりました。

時代だったんだ、母もかわいそうだったんだ、だから、私みたいに人生を終わらることだけを考える子供時代を過ごす子がこれ以上増えないように、妊娠中から母子が安心して生活してほしい。それらをたくさんの人に知ってもらいたいと思うようになりました。

きっと、母親が笑顔なら子供も笑顔になれる。

母親が自分を肯定することができれば、不幸な子もきっと減るだろう。

そう思ったんです。

 

それで、生まれたばかりの娘を抱えながら、様々なボランティア活動をしていたのですが、私の考えることを実現するのって本当に難しいことだと、見事に壁にぶち当たりました。

でも諦めずがんばって、地域で子育て支援団体を作り仲間も増え、うまく生き始めたとき、本当にこれからっているときに、ぶち壊す人をチームに引き入れてしまいました・・・。

他人をコントロールしようとして存在を否定しようとしてくる人です。

私は「人を認められないこの人は、自分のことを認めてほしい人!だから私がしっかり認める!」と、その人のマイナスを真正面から抱え込もうとしました。

 

・・・結果、チームが分裂して私が病みました。

 

きっとこの人も私と同じ感動を味わうことができるはず!と、思うことが間違いだったのか・・・そう自問自答する日々でした。

そんな時に、たまたま「僕のアニキは神様とお話ができます」のブログを発見し、もともと神様や不思議なこと大好きな私は、それはそれは夢中で読みました。

書いてあったことは、私が理想とすることに本当に近くて、あきらめかけていた夢をやっぱりかなえたい欲が出てきました。

そして、人が自分を認めて受け入れて、幸せに生きることを広めるための活動を、この神様なら助けてくれるんじゃないかと期待するようになりました。

ブログは10年前に閉鎖されていましたが、様々な情報を検索し続けた結果、ここにいるアニキがくまちゃんだということにたどり着きました!

そして現在のくまちゃんが人形劇をしていることを知ったのです。

 

どうしても会いたかった私は、同じような子育て団体を持つ友人の力を借りてくまちゃんに来てもらうことに成功しました!

そして初めて会ったくまちゃんに、思いのたけをいきなりぶつけたのでした(笑)

くまちゃんもびっくりしたことでしょう。

この日、私はくまちゃんにひとこと釘を刺されました。

「表現方法によっては相手を傷つけることがあるから、気を付けないといけないよ」

何でくまちゃんは私にこんなことを言ったかというと、私は自分が一生懸命話していることがくまちゃんに届いていない気がして、でもどうしても刺さることを言いたくて、ちょっとキツイ言葉をくまちゃんに投げてしまったからでした。

普通に考えればわかることなのですが、そんなことやっちゃいけません(反省)。

結局私は、自分の話を聞いてもらったあとは自分の子を見たり運営側でバタバタしていて、せっかくのくまちゃんの公演をちゃんと見る余裕もなく、あっという間に公演も終わり解散に。

共同開催した友人は、くまちゃんの公演の最初から最後までずっと泣きっぱなしで、私も、ちゃんと見ておけばよかったと後悔しました。

このまま終わりたくないなと思っていたところ、友人がくまちゃんの公演にいたく感動し、是非来年もお招きしたい!と言ってくれたので、公演終了後からすぐに次年度の開催に向けて準備を始めることになりました。

 

ここから一年、私はいろいろ考えました。

まず、くまちゃんに何かしてもらうことを期待しすぎていたのではないか。

もし傷つけてしまったのなら、謝らなければならない。

そして、また会える機会があったら、今度はどうしたいか。

 

そうやっていろいろ考えながら、「僕のアニキは神様とお話しできます」のブログも、もう一度読み返しました。

そして、気になったこの文章。

 

以下、抜粋。

神:「では、地球に宇宙人が来たというお話。」

龍:「はいもう大注目ぅっ!!!」

神:「これは夢のようなお話ですが、ある意味当たっています。
人間のような姿ではありませんが、いつでもどこにでも宇宙人の影はあります。

龍:「ほんぎゃーーーーッッッ!」

神:「私も多少関わりがありますので、申し上げますが、
気体を固体に変える技術(能力?)を持っているのが面白いところです。」

抜粋ここまで。

 

この宇宙人は気体を個体に変えることができるらしい。

そしていたるところに宇宙人の影がある。

 

宇宙人の正体とは。

 

気体を個体に変える生き物・・・そんなの、空気中の二酸化炭素と水をでんぷんと酸素に変える、光合成、つまり植物しか思い浮かびません。

 

ここでひらめいたのが、ミトコンドリア葉緑体でした。

ミトコンドリアは独自のDNAを持っていて、大昔に細胞内に取り込まれたと考えられているそうで、つまり、もともとは別の生き物ということです。

 

そして、くまちゃんに会ったら前回の非礼を謝罪することと、宇宙人はミトコンドリア説の真偽を確かめることにしました。

 

そして迎えた翌年の公演、開演前に謝罪しました。

くまちゃんは「もう気にしなくていいからね」と仰ってくれて、ホッとしました。

 

その後のランチにて、私は用意した質問をくまちゃんに聞いてみたのです。

 

「くまさん、宇宙人についてなのですが」

 

「うん」

 

「宇宙人って、体の中にいますよね?」

 

「!!! そう!」

 

・・・私が聞きたいことはここまでだったので、それからのセリフなんて考えていませんでしたが、ここからは私の意思に反して口から言葉が出てきました。

 

「この体が一つの宇宙」

 

「そう!!!」

 

「だから、宇宙を亡くしてはならない」

 

「その通り!自分で気付いたの!?」

 

くまちゃんはとても興奮した様子で、喜んでくれました。

隣でみーちゃん(木村社長)は一連の話を困惑した顔で聞いていました。

 

そんなみーちゃん(木村社長)を置いてけぼりにして、くまちゃんは大興奮で「一緒に日本中を旅しよう!」と言ってくれましたが、嬉しい反面、心のどこかで(これは、みんなに言ってるな?)と思いました。

 

冷静に考えれば、「宇宙人は体の中にいる」としか確認できていないので、ミトコンドリアが宇宙人だと明言されたわけではないのですが、まあ、私の疑問は解消されたわけです。

 

そして、私が伝えたいことを伝える方法として、くまちゃんから提案されたのが、物語を作ることでした。

 

(今日はここまで、続き書きます)

さっちゃんへ

さっちゃんへ

おはようございます。
いつもさっちゃんのブログを拝見しています。

不思議なお話って、なんでこんなに面白いんでしょうね?
私も人生の中で、何度か不思議なことに出くわしました。
その度に思うのが、「こんな不思議なことが起こるなんて、私は特別かもしれない!」という勘違いです(笑)
普通に考えたらありえないことや、パズルのピースが一気にはまっていくようなタイミングの良さや、後から気が付く不思議も。
そういうことが起こると、実は私は特別なんじゃないかと思えるのです。
特別と思わせてくれる何かが、人生のちょっとした楽しみを分けてくれているように思っています。

さっちゃんのブログは、登場人物の皆さんが、苦しんだり悲しんだりしながらも、不思議なことに励まされて前向きに生きていくところがとても好きです。
実はね、私もその登場人物である野田さんに救われた一人なんですよ。
ちょっとショッキングなお話もありますので、無理せずゆっくりお読みいただけますと幸いです。

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私には、もう何年も前から多くの人に伝えたいことがあります。
簡単に言えば、出産前後(周産期)の母子についての知識を多くの人に知ってほしい、ということです。
そして、子供の育ちは自然と一体になる重要性についてもです。
それに関する、教育をしっかりしてほしい。それをたくさんの方に伝えたいと切望しています。

けれどそれは思っていても、どうしても原稿になっていかないのです。
話すことはできる。そしてそれはちゃんと伝わる。でも、文章にすると何故か書けない。
そんな状況が数年続いたので、私は書くことをあきらめました。
私が思っていることを伝えるには、ひたすら私の考えを話すほうが手っ取り早いと。
書けないのならしゃべればいい。そう思っていました。

でも、何度も何度も書こうとして書けずにいたことを、無理やりにでも文章という形にするきっかけを作ってくれたのが、野田さんでした。
子育てについてのお話って、伝え方を間違えると反感を買いやすかったりします。
特に周産期のことについては、トラウマに感じる方も多いので、伝え方には苦労します。
さて、どうしよう?と悩んでいた時に、野田さんにお会いすることができました。(これも奇跡です!)
野田さんは私に、「物語を書いてみてください」と仰いました。
びっくりしましたよ。ビジネスじゃない文章を書くことになるなんて、思ってもいませんでしたから。
確かに、物語という形をとれば、反感を買わずにすんなり受け入れてくださる方も多そう・・・そう思い、原稿を書くことにしました。

でも、そんなに簡単ではありませんでしたよ。
伝えたい内容が幅広すぎて、先ずは私の中での整理が必要でした。
この際、読み手のことは考えずにできるだけ形にする、とにかくまとめる、書ききる!そこに注力することにしました。

もう一つ、原稿を絶対に完成させるためのモチベーションとして、私は野田さんにあるお願いをすることにしたんです。
それはずっと気になっていて、でもどうにもできなかった、交差点の男の子を助けてもらうことでした。

娘が幼稚園に上がる前のこと、小学校前の大きな交差点で小学校2年生の男の子が交通事故で亡くなりました。
一度、交差点を渡ったのに、誰かに呼ばれて引き返してしまい、大型トラックにひかれてしまったそうです。

小学校の登下校時に、横断歩道で見守りしてくださる方って必ずいましたよね。
しかし、その小学校ができて数年、交差点の見守りは誰もしていませんでした。
そんな中で起こった事故だったので、保護者全員はっとしたと思います。
今までPTAはあっても、活動なんて不要だとの論調が多かった小学校ですが、そのタイミングでPTAの重要性の議論が盛り上がりました。
それからシルバーの方たちのご協力で見守りをしていただけることになり、保護者も率先して見守りをするようになりました。
お子さんを亡くした親御さんは、交通安全活動の旗振り役として活動を始められました。
地域でも、交通安全部会という団体が立ち上がり、地域の交通安全を話し合うようになりました。

それなのに、それから2年後くらいから、その交差点での交通事故が多発するようになりました。
横断中の人が巻き込まれることはなかったように思いますが、車がありえない形で中央分離帯にぶつかっていたり、車同士が衝突したりする事故です。
その交差点はとても見晴らしのいい交差点で、事故が起こるなんて想像しにくい場所なのにです。
それからも自動車の衝突事故が後を絶ちませんでした。私もそこで何度も事故を目撃することになります。

同時に、私に不思議なことが起こり始めました。6月と12月にその交差点を通ると胸が苦しくなり、なぜかその死亡事故のことを思い出すのです。
私はいわゆる霊などを見たことはありません。でも、6月と、12月のクリスマスには家に帰りたいと訴えているような、はっきりとした感覚があったのです。
その子のことは話にしか聞いていません。会ったこともありませんでしたので、私は事故で亡くなった子とお子さんが同級生だった友人にそのことを聞いてみたところ、6月は命日だと教えてくれました。

そこまでわかっても、私には成す術がありませんでした。
見えていませんし、聞こえてもいません。
ただただ胸が苦しくなって、帰りたいとの思いが伝わってはくるものの、そんなこと人に言っても伝わるかどうか…。
私が一人もやもやと悩んでいる間に、ご遺族が引っ越してしまったと聞きました。交通安全活動もやめてしまったそうです。どうも、活動するたびに思い出してしまうのが辛かったようです。
とある本で、親が迎えに行き、声をかければ一緒に帰れるらしいと知りましたが、傷つき疲れたご遺族にそんなことを伝えられるわけもありません。
でも毎年毎年、その子からの訴えは強くなります。私は途方にくれていたのです。

もしかしたら、野田さんなら男の子を助けてくれるかもしれないと、野田さんにお会いした時から思ってはいました。
野田さんが羅針盤という本を書いていたのも知っていましたが、その活動はとっくにやめていらっしゃったので、お願いするのは躊躇しました。
でも、私が原稿を書き上げたら、(勝手に)そのご褒美としてお願いしてみよう!そう決めたのです。
その時、既に12月でした。友人に話をしたら、クリスマス間近だねと言われてはっとしました。
絶対に、男の子をクリスマスまでに、お父さん、お母さんに会わせてあげたい!と、実際は本当かどうかわからないけれど、それでも信じて頑張ることにしました。

今まで手付かずだった原稿を完成させるのは、とても大変でした。
途中でどうにも進まなかったときに、タイミングよく音声入力を教えてくださった方がいて、かなり進めることができたりもしました!
家族も、家事を全て放り投げて頑張る私を応援してくれました。
いろいろな助けがあり、結果、2019年12月24日の深夜に、読みにくい7万字の原稿が完成しました。
何はともあれ、完成したのです!

そして、下記が実際の野田さんとのやり取りです。
野田さん、勝手に転載してごめんなさい。

『お疲れのところ、大変申し訳ありませんが、図々しくもご褒美に、叶えてほしいお願いがあります。
そのために今日、がんばりました。何卒・・・

(野田さんご了承のスタンプ)

ありがとうございます!

6年前、○○小学校前の交差点で、交通事故で亡くなった男の子がいます。
その子が、どうやらまだ迷っているようです。

本来ならば、お母さんに迎えに来てもらうのが一番いいのですが、私はお母さんと面識もなく、連絡もできませんでした。
でも、この5年間、いつも6月と12月(クリスマス前)に気になるのです。
6月4日が命日で、12月はどうやらクリスマスを楽しみにしていたようです。
帰りたいようです。
私は、なんとなくはわかりますが、はっきり見えるわけではなく、あ、でも今見えちゃいましたが、私は何もできません。

(このタイミングで、パソコンを打つ私の足元に男の子が机の下で体育座りしながら私を見上げてくるビジョンが見えました…)

そこでお願いです。
神様に、○○くんをご両親の夢に出し、そして行くべきところへ送ってあげてほしいのです。
お伝えいただけますでしょうか。

人間のことは頑張りますが、あちらの世界のことはお手上げです。
せっかくのクリスマスです。何とかしてあげたい。
神様にお伝えいただくだけで結構です。

もちろん、野田さんには断る権利がありますので、遠慮なく仰って下さい。』

そう、お伝えしたところ、

『やってみます。

夢に出せるかどうかはわかりませんが、、』

と、ご快諾いただいたんです!
いやー、狂喜乱舞しましたよ。よかったね!帰れるね!メリークリスマス!!!

そしてその後、その交差点で交通事故が起こることはなくなりました。
今、その子のことを頭に思い浮かべると、笑顔が浮かぶのでもう大丈夫なのでしょう。
一つ気がかりなのは、ご両親の夢に出られたかな、ということ。
ご両親もつらかったと思います。少しでも傷が癒えていますように、今も心から祈っています。

さて、私は完成した達成感でとりあえずいいお正月を迎えることができました。
しかしこれは終わりではなかったのです…。

一度は全て書き終えた気がしていましたが、後で読み返すとそれはそれはひどいものでした(笑)
読める文章と読めない文章が混在しており、人様に読ませられるようなものではなかったのです。
私が完成させた原稿は、これから私が書く物語のひとつのスタートだったと知って、愕然としました。

それから、野田さんとのやり取りをしながら、何かと文章を書くことは続けていました。
でもやっぱりスランプなんですよ。
ちょっとだけ書けた!と思えるものもできましたが、完成してはいません。
私は何を書き続けるのか、そう思い続けていました。

そしたらね、福井のみーちゃんから、さっちゃんのブログを応援してほしいとご連絡をいただいたんです。
最初は正直複雑な思いでいましたが、さっちゃんの書く文章を読んで、全力で応援することに決めました。
だって、本当にすごいんだもの(尊敬!)
何が凄いって、これを表現するのは難しいんですけど、さっちゃんの紡ぎだす文章には、読み手の心を震わせて共振させる力がある、といったところでしょうか。

それに気付いたんです。
さっちゃんの書くラジオドラマのシナリオを読みながら、「あ、これは私につながる物語だ。」と。
そしてこれを読む、すべての人がそのドラマの続きを演じていくのだと。
特に福井のみーちゃんは、たくさんの人を繋ぎながらこの物語を動かしていくキーパーソンだということも。

私はこれからまだまだ続くこの物語を、心から楽しみにしています。

三日坊主とは私のこと!

こんばんは。

 

今日、とってもためになる記事がありました。

三日坊主!そう!私のことです!

 

このブログも、リハビリを兼ねて書き始めましたが、三日で終わってる!

これはいけない!

 

もう、足踏みしている場合ではないですね。

今日から本題を書き始めます!

 

先ずは三日間、やってみます!

書くということ

以前私が『ママライター講座』に参加したときに、課題として提出したものを修正してUPします。

私が文章を書く練習をする、理由の一端。

 

 

*****

 

昔々、川のほとりにひどく信心深い男がおりました。

その年の冬は積雪が多く、川も珍しく凍り、長老たちは「前と同じだ。暖かくなったら洪水が起き、村は水浸しになっちまう」と、避難の準備を始めました。しかしその男は「こんなに神様を信じているのだ。神様がきっと助けてくださる」と、一向に動きませんでした。そうこうするうちに、川の水があふれ出し、村人は一斉に避難を始めました。もちろん男にも避難するように連絡がありました。しかし彼は「神様が助けてくれるから心配ないよ」と、避難しませんでした。

しばらくすると水は床上まで侵入してきました。そこへボートで避難する村の人が通りかかり、説得したのですが男は追い返してしまいました。家は完全に水につかり、男は屋根によじ登りました。そこへレスキュー隊が到着し、男を助けようとしましたが、男は「絶対に神様が助けてくれるから」と、救助を拒否し、結果、流されて死んでしまいました。

天国へ着いた男は、神様に詰め寄りました。「助けを待っていたのに!」と。

神様は残念そうな顔でこう答えました。「助けなら何度もやっただろう?」

 

***

 

 この話は米原万里さんの『真夜中の太陽』という本に収録されている『安全神話』というお話です。育児に疲れていた私は、夜中に「神様 いい話」と検索して不思議ないい話を読みながら現実逃避して、ストレスを発散していました。その時に見つけたこの話は、私にとってなかなか衝撃的なお話で、ずっと頭の片隅にこびりついていました。

 

 人間の子育ては他の生き物と違い、教えてもらわなければできないことが多くあります。もちろん本能でわかる部分も多いのですが、おむつの替え方、母乳の与え方、寝かせ方、沐浴の仕方、おんぶの仕方、赤ちゃんの服の種類、子守歌も、教えてもらわなければわからないことだらけです。私も第一子出産後は全く何もできませんでした。母との仲が悪かった私が頼ったのはインターネットで、当時は今よりも必要な情報にたどり着くのが本当に大変でした。育児雑誌も参考にしましたが、ネットで見た先輩ママのアドバイスと内容が全く違う上に、先輩ママのアドバイスのほうが何倍も実践的でした。そして、それらを調べるのに寝る時間を削って、深夜まで携帯を握りしめていたものです。これからママになる人や、娘に、同じ思いをさせたくない。そういう思いで2011年からママの育児グループを作り、先輩ママや専門家との交流の機会をたくさん作ってきました。しかし、自らも子育てをしながらその活動を続けていくには、気力も体力も足りません。しかも完全に無償で、時に自費を費やしての活動に対し、夫からは「家事や子供との時間を犠牲にしてまでやることなのか」と、よく言われていました。とはいえ、交流会を行う意義は私が一番よく知っていますし、共感して活動を助けてくれる人も増えてきました。自然と活動が大きくなるにつれ、私は神様が助けてくれるのではないかと、どこかで望んでいたのです。

 そんな折、とある還暦を過ぎた男性とお会いしました。その方は地域の活動に熱心で、子供のことにも理解を示してくれました。そこで私は彼に頼ることにしました。しかし、どうにも思いが伝わりません。彼の理解は育児雑誌の内容で、私の求めていたのはネットに書き込まれた先輩ママのアドバイスだったのです。結局一緒に何かを行うことはありませんでした。彼には彼の思いがあり、私には私の思いがあり、人に自分の夢を叶えさせようなどと虫のいい話を考えたのがよくなかったと反省しました。私は神様を探して、無意識に長い間溺れていたのでした。

 ママライター塾に参加した理由は、「より良い未来のために、伝えなければいけないこと、やらなければいけないと思うことがあったら、行動できる人が現れるのを待っていないで先ずは自分から発信してみるべき」と、気付き始めたからです。そして、そのためには文章を書くことが必須であるということも。しかし、文章をまともに書いたことの無い私にとって、独学はとても難しいものでした。読まれるのも恥ずかしいですし、そもそも自信がありません。

 

講座の中で、「自分のインタビュー記事が全国紙に載ったときに、誰かの行動を変えるかもしれない、誰かの人生を変えたかもしれない」と仰っていたときに、文章の力を感じ、やっぱりこの講座を受講することは正解だったと確信しました。

『ママライター講座』は、私にとって神様が派遣したレスキュー隊だったわけです。

 

 たくさんのママたちの貴重な経験を、発信していきたいという願いに心から賛同します。是非私も参加させて下さい!宜しくお願い致します。

 

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形にするって、やっぱり大切。

さて、明日もがんばろう!

テーマが行方不明

こんにちは。

 

リハビリ兼ねて始めたブログです。

早速困ったことになっています…

 

そう。

何を書くか、まったくのノープランです(笑)

 

書きたいものは既にありますが、それを書く前の準備運動のためのブログです。

だから、それ以外のものを書きたい。

ほぼ日イトイの糸井重里さんとか、天声人語とか、毎日なんであんなに書くことがポイポイ出てくるの…いや、うぬうぬ言いながら書いているかもしれないけれど。

毎日、本当に尊敬します。

 

日常のちょっとしたことを、ちょっとおもしろく掘り下げる…

これが超絶難しい(笑)

それもこれも訓練と思い、日々のいろいろに目を凝らしていきたいと思います。

目が乾きそう~

 

今日はここまで。